逗子葉山暮らしのほんとのところ。

都心と鎌倉の不動産営業を経て思うこと、郊外からの移住、都内通勤や日々のこと。

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私たちの仕事と将来のこと。

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

二世帯住宅の話の途中ではありますが、今回は昨年から少しずつ準備してきた新しい事業について書いてみようと思います。
移住や二世帯住宅の話ではありませんが、私たちが葉山に住まなければきっと考えもしなかっただろうこと、ぜひご一読いただけたら嬉しいです。

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森戸海岸からの富士山。


数年前、都内から移住してきた私たち。
移住と言っても、都心部まで電車で1時間の距離なので、言ってしまえばただの引っ越し。もっと遠くに、本当の田舎に引っ越した人たちからしたら”移住”ってほどでもありません。

ただ、私が逗子へ引っ越そう(今回は敢えて移住というのをやめておきます)を踏み切れたのも、都心から1時間の距離だったから、ということが理由の一つでもあります。
将来的にいつか住みたいところ・・とイメージしたとき、漠然と頭に浮かんだのは沖縄、タイ、バリ・・。
暖かくて海がきれいで、街や人が穏やかなイメージのところ、でした。

今でも海外に住みたいという思いはあるけれど、仕事のこと、それから友人との付き合いを考えると、都内までの距離は譲れない。
そうして全てがちょうどいいこの街を選んだのです。


元々安定志向で、リスクをできるだけ避け、平凡に(いや、やっぱり並よりは上で)平和に暮らしたいという私と、根っからの自由人の旦那さん。

逗子に引っ越して1年も経たないうちに、旦那は会社を辞め、独立して個人事業主に。
その理由は
”会社員として雇われていたら一生働き続けなくてはならない”(むしろ私は一生働きたい派)とか
”朝寝たいだけ眠りたい(ほっといたらほんとに起きない)とか、
”自分の村を作りたいんだ”(一体なんなんだそれ)とか、そんな感じ。

何言ってんだか、とかしょうもないな、と思いながらも、色々と・・色々とすんごく不安はありましたが、会社員である私の収入も安定してきていたし、最悪私の収入だけでもひとまずは暮らしていけるだろう・・ということで、半ば諦めの気持ちで、がんばってみたら?と応援することに。

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海へと続く小道。


それから1年。
だらしないところは多いものの、人付き合いがうまく、要領の良い(というかちゃっかりしてる)旦那。
意外にも仕事は順調に進み、あっという間に私の収入を追い越しました。

当初は一人で仕事をしていたわけですが、いつの日からか教職をとっていながらもニートになってなんとなしに生きていた幼馴染を誘い込み、狭い3畳ちょっとの極狭オフィス(といってもキッチン横の納戸、もちろんエアコンなし!)で仕事をするように。

そうして、1人、2人と一緒に仕事をする仲間を増やし、その人達に仕事を教えることでより多くの仕事を受けることができるようになり、売上は順調に上がっていきました。

しかもそこで働くのは、元々その日暮らしをしていたような人や、いろいろとワケあった友人たち。
身なりにも気を使わず、私と目を合わせようともしなかった友人たち(当時バリバリ働いていた私にいつ怒られるかと、怯えていたようです笑)は、いつからか専門的な技術を身に着け、人並みに稼げるようになり、ピカピカのバイクを買い、私にも自ら話しかけてくるようになり・・
ついには長年付き合っていた彼女にプロポーズ、おめでたいことに入籍。

気づくと旦那は、昔から何かあるごとに言っていた”自分の村づくり”に取り掛かり始めていたのです。


当初は村を作りたいなんてなに言ってるんだか・・と思っていましたが、改めてちゃんと話を聞いてみるとこんな感じ。

生涯独身の人が増えた現代、未婚で賃貸暮らしの人たちは、病気や怪我などで仕事ができなくなったら、どうやって生きていくのかが心配。

退職金なし、月給25万とかしかもらえない会社でめいいっぱい働いている人は、副業する時間も、将来について考える時間も余裕もない。
年金がどれだけもらえるかわからない将来、この給料じゃ貯金もまともにできないし、定年退職したらどうやって生きていくんだろう。

保険とか投資とか将来への蓄えとか、そういうことを教えてくれない会社がほとんどだし、そいういう人たちこそそういうことを教えてあげないと自分から考えることはしないのに。
会社なんて無責任・・みたいな。


考えてみると、確かに間違ったことを言ってるわけではないのだけれど、
でもしょうがなくない?となってしまうのが、薄情な私の結論。

でも、すごく自由人で他人を使ってお金を稼いでいくことしか考えていないように見えた旦那さんは、自分でどうにかしようと少しずつ自分にできることから始めていたんだなぁ、と。
そっか、確かに街単位では変えられなくても、自分の身の回りの人たちと一緒になら小さな村(らしきもの)を作ることならできるのかも知れない、そう思わされたできごとでした。

 

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お目通しいただけたら嬉しいです。 

www.miwa-hayama.info

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